今年3月にヴラフ調査でギリシャに行ったばかりなのですが、個人の研究の科研費をいただくことになったのでまたまたギリシャ調査に行きます。
調査旅行期間は2018年8月26日から9月19日まで。
個人の研究もまだまだ霧に包まれたよう形のあるような無いような状態です。
でも、この研究ができたら本当に嬉しいなというような内容(採用してくれた方々に深く感謝します)。
*ここから自分の研究を思い出すために書いているので、独り言です。お読みにならないことをオススメします。
院生の頃からずっと気になっていた細かい一つ一つの事件を総合してネットワーク論でまとめたものです。
舞台は18世紀後半から19世紀前半にかけてのエーゲ海のキクラデス諸島であります。
前々からお世話になっていたアンドロス島、一度訪問したことのあるティノス島、そして初訪問のナクソス島の人々がお話の主人公です。(サブキャラでシロス島も出るかも)
この島々はオスマン帝国時代は一つの州にまとめられていました。
その前はヴェネツィア占領下だったり、ユダヤ教徒の支配者がオスマン朝の代理で支配したり、境界なく様々な文化が混じり合うエーゲ海の交差点でもあります。
色々な国家に支配される時期も、島ごとにすこーしずつズレているので(そして支配者の各島への重要度も違うので)、島ごとに住民構成も違ったりするのです。
例えばアンドロス島の北にはアルバニア系の人が住んでいて、これはオスマン朝ヴェネチア支配時代からの移住政策で入植させられたようです(いつからいたかは不明)。ナクソス島はヴェネツィアとの繋がりが長くカトリック住民が多い。ティノスは今のところ謎(これといってすごい特色を感じない^^;)ティノスは1204年から1715年までヴェネチア支配下にあり、聖マルコ寺院の支配を受けていたようです。そのためか、カトリック居住区があり 1781年の段階でティノスには7000のカトリックが32の村に暮らしていたそうです。カトリック教会が孤児院やシスタースクールを建てたりして、かなり島に影響を与えていたようです。ティノスの産業は手工芸品、中継貿易、大理石細工で栄えていました。ちなみにアンドロスにもカトリックの教会があったようですが、いまはもうありません。
ティノスに関する情報リンク
http://tinos.biz/index.html
http://www.tinos.biz/culture/
共通するといえば、18世紀後半のキュチュクカイナルジ条約のあたりからキクラデスの人々がロシアの保護を受けて海運にいそしむようになったので、ここから経済的な飛躍をしたということ、そしてギリシャ独立戦争の戦場となり1830年の独立でギリシャ領に加わったということであります(といっても、別に一丸となってオスマン朝に刃向かったのではなく、戦争に消極的な島もあったり、敵はだいたいキリスト教の海賊だったりと、ただただ混乱のど真ん中にいたという共通体験なのですが)。つまり18世紀の後半からこれらの島々は、経済がガラッと変わるような歴史的事件を共有し始めたのです。
とはいってもオスマン時代もキクラデス諸島は同じ州、中継貿易も細々と行っていたわけなので、今回明らかにしたいのは「オスマン時代のキクラデス諸島にはどのようなネットワークが形成されていて、ギリシャ独立からどう編成されたか」。海運、聖職者の異動、政治上の駆け引き、行政(シロス島に中央裁判所あり)、いろいろな関係が想定できますのでザザッとわかる範囲で調べます。
また、主役の三つの島が独立戦争を経て新ギリシャに参入するとき、似ているような似ていないような事件がそれぞれで起こるのです。題して「新ギリシャにおける宗教的中心地の争奪戦」です。
ティノス島では独立戦争時に奇跡を起こすマリアのイコンが発掘されました。それもなんと受胎告知です。新国家を生み出す戦争時にこんなものが発掘されたら、指揮が高まったでしょう。ここからティノス島は新ギリシャの宗教的巡礼地になって行くのです。1940年、8月15日は聖母祭。この日にイタリア軍が港に攻めてきたようですが、マリアの恩恵で戦いに勝利したと信じられています。
ティノスのマリア像とそれをめぐる巡礼についてはJill Dubischが文化人類学の視点で研究。http://jan.ucc.nau.edu/~dubisch/index.htm
マリア像がティノス住民に発掘された時期に、同島のカトリック教徒を正教島民が略奪する事件も起こっています。Mark Mazower ed. Networks of Power in Modern Greece: Essays in Honor of John Campbell, Columbia University Press (August 12, 2008)
これにたいして可哀想なのはナクソス島です。ここでも独立戦争後に奇跡のイコンを発掘したのですが、発掘者は詐欺罪でシロス島の裁判にかけられ、なかったことにされてしまうのです。ナクソスのマリア発掘事件はCharles Stewartの研究が深い。マリア像は住民の夢のお告げから発掘されたけど、もともとargokoiliotissという村には予知夢の風習があったようです。
http://www.ucl.ac.uk/anthropology/people/academic-teaching-staff/charles-stewart
また、前の2島は住民の活動でしたが、アンドロス島では独立戦争後に島出身の啓蒙思想家カイリスが新宗教を開きます。カイリスの宗教は迷信や奇跡を排除し、神を感じることができるように信者を規律化・修行させるタイプなので、前の二つとは本当に対極。体を鍛えたり、古代ギリシャ演劇させたり、古代ギリシャ語らしき言語を覚えさせたり、なかなか体育会系です。アンドロス島の住民がこの宗教にかなり加わってます。この宗教は国家裁判で異端判決を受け、すぐに閉鎖されました。開祖のカイリスは独立戦争の英雄だったので、国家をあげてのスキャンダルになったのです。
これら三つの事件は独立戦争開始から20年間の間に起こっています。調べればもっと似たような事例が出るかもしれません。
つまり、新しい国家が建設され、これまでの自分たちの生活文化がどうなるのかわからない危機的状態の時に、人々は自らを守るために宗教的な何かを作り出そう、そしてあわよくば国家の宗教的な中心地になろうと動くのかもしれません(もしかしたらどれも国家の中心になる要素があったのかもしれないけど、新国家の政策の中でティノスが選ばれただけかも)。成功例はティノス島でした。
これらの事件を精査することで、①境界なく広がっていたキクラデス諸島のネットワークが国民国家に参入することでいかに再編されていったか、②再編される中で、住民は宗教的を巡る事件の中から自らの地域文化をいかに新国家の中心に据えようと活動したか、を明らかにして行きます。
やはり歴史学の醍醐味は史料になかなか出てこない一般住民の活動や考え方を、色々な視点から調査して浮き彫りにしていくことであります。ずっと気になっていたティノス島のマリア発掘事件やカイリス事件を上手くまとめることで新しい住民の有り様が見られれば良いなと思います。