カリマロマロ

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カリマロマロとは第一回オリンピックの会場となったパナシナイコスタジアムの愛称です。

良いマーブルという意味があります。

アテネの遺跡群から少し離れたところにあり、私が初めてギリシャの私立語学学校に通った時、いつもここを通りました。

もう15年前ですが、あの頃は出入り自由で朝になるとランニングしているおじさんがいました。

いまは入場料をとって、博物館らしきものを設置しているみたいです。

いつもなら素通りなのですが、スタジアム前に設置された像に目が止まります。

ゲオルギオス・アヴェロフです。この人はヴラフの村メツォヴォ出身です。

アヴェロフ家の財を築いた人です。彼は若い時代にアレクサンドリアに移住します。

そこで商業に成功したそうで、具体的になにをやっていたのかはこれから調べますが、この時代のエジプトギリシャ人はかなりの実業家だったようです。

(だいたい1850年以降からはシルク産業で儲けていたようです。それ以前はエーゲ海の島々で僅かですがシルクが作られていたとか)

アヴェロフ以外にも不動産や銀行で財を成したギリシャ人がたくさんいました。有名なベナキ家もエジプトを拠点にしていました。エジプトで初めて設立された銀行はギリシャ人が創設しました。

ギリシャ独立後もエジプトのギリシャ実業家が資金面でまだ若いギリシャ国家を支援していたようです。

そして象徴的だったのは第一回オリンピック。クーベルタンの発案で第一回オリンピックをアテネで開催することになったものの、ギリシャ国家には施設を整えるお金がありませんでした。

そこで支援を行ったのがアヴェロフです。第一回オリンピックはマラソン優勝者がギリシャ人だったこともあり、ギリシャ国家のメモリアルな出来事として語り継がれています。

アヴェロフの支援がなければ実現しなかったということもあり、彼は国家への貢献者としてスタジアムの目の前に飾られているのです。  

明日からはアンドロス島に行きます。

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明日17:30ラフィーナ発のチケットを買いました。

アンドロス島にいきます。

こちらのカイリス図書館にお世話になります。

もちろん友達のおうちにも再訪問して、色々お話をうかがいたいと思います。

http://www.kaireios.gr

アンドロス やキクラデス諸島へのフェリーはラフィーナ港からでます。

ラフィーナへはアテネから約1時間半。アテネのヴィクトリア駅近くのマヴロマテオン通りにバス発着所があります。バスの中でチケットを買います。だいたい2ユーロちょっと。

タイムテーブルはこちら

http://ktelattikis.gr/en/en_marathon_makri

洗濯物はコインランドリーへ

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AD025356-24E0-442A-9B45-F298D3769363昔はそんなになかったけど、いまはアテネならそこら中にコインランドリーがあります。

50セントで洗剤を買って、3ユーロで洗い、1ユーロで乾燥してくれます。

 

ホテルにクリーニングサービスあったけど、高そうだしいつ戻って来るかわからないのでこっちの方が便利。

全ての図書館、文書館にスキャナー設置をお願いしたい!

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ブリティッシュライブラリー、なんて便利になってるのだろう。

フォトコピーも出来はするんだけど、無料のブックスキャナーが設置されたので使いたい放題。

コピーの紙って意外とかさばるんだけど、これならデータで持って帰れるし、何より紙の無駄がなくてエコになる。

全世界の文書館、図書館がこのシステム取り入れてくれるとかなり助かる。

 

 

ブリティッシュスクールのギリシャ語雑誌

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私にとってって最も慣れ親しんだ研究所。

なぜかOPACに載らない書籍が多い。

開架のギリシャ語雑誌をここにメモ。

 

ヴラフ研究で気になっていること

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前回のギリシャ調査旅行で、気になっていたことがあります。

それはヴラフにとっての「マイノリティ」とはどのような意味を持つのかということ。

近年、マイノリティについての認識が広がっていて、アメリカだと黒人、ヒスパニック、LGBT、女性などなど、権力的に下位に置かれた人たちがマイノリティを名乗って平等を勝ち取っていくためのツールとして言葉が力を持っているように見えます。

アメリカ研究をされている同僚の「今アメリカってマジョリティがいない状態じゃないか。みんな何かしらマイノリティである要素を持ってる」という言葉が印象に残ります。

しかし、ギリシャに住むヴラフの方々は自分たちを「マイノリティ」と規定されることを嫌います。ある記事で、EUのマイノリティ保護政策の関係で、ヴラフ語を公教育に取り入れて保護する動きが国の方からあったそうですがヴラフ団体がそれを断ったとか。

前回の調査で「ヴラフの人々はマイノリティとして、、、」と質問しようとすると、「いいえ、マイノリティじゃない。ギリシャ人です」と返されることが何度もありました。「ヴラフ語はクレタ語と同じでただの方言。ヴラフ文化は自分たちの故郷の文化だから守っているだけ」「私たちをマイノリティと呼ぶ人は、何かを得たくてそう呼ぶ」

他のバルカン諸国のヴラフ語話者も同じことを言うのだろうか。

ギリシャに住むヴラフ人特有の歴史的経験がこのような国家との関係を作ったのかもしれません。実際、ギリシャ独立戦争のシンボルだったリガス、ギリシャナショナリストにして首相だったコレッティス、第一回オリンピックに出資した大富豪のアヴェロフ家(その孫はのちに首相になってます)、その他多くの有名人がヴラフ出身です。

これに対して、明らかにマイノリティと呼ばれる人たちもいます。それがムスリムマイノリティです。彼らはギリシャ語を話しますがムスリムです。彼らはトルコ人と呼ばれ、ギリシャのテレビドラマで禁じられた愛の相手役でしばしば登場したりします。

ギリシャのヴラフがなぜマイノリティとしての権利を拒否するのか、そこに至る経緯を探ってみようかと思います。

夏はアテネの文書館や図書館が閉まるので注意

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http://athenscentre.gr/?p=6975

 

今年はゲナディオン図書館は7月2日から9月2日までサマータイム開館です。

月から木9:00-16:30 金9:00-15:00 土日閉館

http://www.ascsa.edu.gr/index.php/gennadius/hours-access

 

ブリティッシュスクールは9月10日から30日まで閉館です。

https://www.bsa.ac.uk/index.php/departments-cat/library

 

GAK(国立中央文書館)は7月30日から8月17日まで閉館です。

今は9:00-15:00まで読書室が開館してます。資料の閲覧は13:00まで。申込書を出します(HPでダウンロードできます。一日5箱まで文書が見れます。http://www.gak.gr/

 

国立図書館は7月は短縮開館、8月は閉館です。

Homepage

 

 

 

 

 

 

北京でトランジット

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今回はエアチャイナを使い渡航します。

エアチャイナは8月の時期のギリシャ渡航できる飛行機で最安値なのですが、トランジット時間が長いのがネック。

しかし北京は72時間以内らなビザなしで入国できるので、十分な時間さえあれば観光して帰ってこれます。

私に与えられたトランジット時間は17時間なのでめちゃくちゃ時間あります。

早速、午前10半に空港につき、Wi-Fiと格闘したあと、市内に直行。

飛行機が到着したらトランジット窓口に行かずにそのまま出国審査に行きます。

トランジットで時間が余って、、、と説明すれば難なく出国できます。

地下鉄を使って天安門へ。その後天壇を観光して王府井で夕飯食べて空港に戻りました。

地下鉄のシステムは日本と同じなので、多少言葉がわからなくても簡単に使いこなせます。

今まで訪問した国の中でもかなり楽勝な方。途中、切符の買い方がわからなくても中国の人が教えてくれます。ギリシャ人とはまた違った方面の親切さで、下手な英語でも時間をかけてゆっくり相談に乗ってくれるので安心できます。ヨーロッパ方面に行くと、顔を見ただけで「この人言葉通じない」的な態度をとられることがたまーにあるのですが、そういうストレスは一切ありません。

地下鉄や街の風景をみて思ったのですが、テレビで言われているような中国のかたの行儀の悪さはあまり感じませんでした。むしろアテネより落ち着いています。

地下通路や涼しそうな場所の壁際に、中国の方がごろ寝していたり、家族で座り込んで休憩していたりするのが他と風景ですが、「こういうものなんだ」と思うと気になりません。もちろん、文化の違う国でやったら目立ってしまうのかもしれませんが。

多少気になるのが、おじさんたちが上半身裸だったり、シャツを胸まで捲し上げてお腹を出して歩いている風景です。でも中国の人がそれでいいのならいいのではないかといった感じです(中国の若者はやっていないので、中にはそういうのを嫌がる人もいるのかもしれませんが。)

ちょっとギリシャっぽいと思うのが、観光地で特に閉鎖の表示や知らせがないのにいきなり観光スポットが閉鎖していたり、地下鉄では降りる人を待たずに乗る人がガンガン乗り込んでくることくらいでしょうか。

これもギリシャで普通なので気になりません。むしろ経済発展した国の都という感じで、パワーさえ感じます。治安も良いように感じました。私が行ったときは大気汚染もそこまでではなかったので好印象です。

 

 

ちなみにエアチャイナの感想は、すごく良いわけでもないけど、必要な物は揃っているので気にならないといったレベル。

食事は豪華さは無いものの、真夜中の飛行でなんとか食べられる程度の食事がでます。スリッパや歯ブラシなど、特別なくても困らないものは一切配られません。長時間渡航の便に枕と毛布が配られる程度。客席には1人一台のモニターがあり、ちゃんと映画も見れました。機内食ではアルコールは出ません。コーヒーもマクドナルド並みの味でしたが、飲めなくもないです。豪華さ、有り余るサービスはないけど、従業員もゆったりしていて不快感のない航空会社でした。

*前回乗ったカタール航空はサービスは豪華なものの従業員が他社からお借りした方々だったみたいで、英語でまくしたてられたり、キリキリしていて話しかけにくかったり。豪華なサービスより従業員のほのぼの感の方がmatuに合っているだけかもしれません。

 

 

旅のお供にワイファイ

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今回の旅では自分のモバイルルーター に海外対応のSIMをアマゾンで購入して差し込んで、どこでもネットできるように色々用意しました。

 

私のルーターは6年前に契約した楽天からそのままもらったもの。かなり古い。すぐ熱くなり、途中でぶちぶちキレる短気なやつです。困った子だと思っていたら、実は海外対応万能ルーター だということを後で知り、やはり才能のある子だったんだと確信しました。そんなGL04Pに中国対応SIMを差し込んで北京で使ってみました。

設定を少々いじらなければなりませんが、APNやパスコードを間違えなく入れればすぐ使えました(といっても不器用な私は北京空港で1時間格闘しました)。しかも、中国にいながらグーグル使えるところが気に入りました。1日しかいないのに4G使えるので、調子に乗ってフェイスブックを投稿してしまいました。これも特別なSIMならでは。

ヨーロッパ対応のSIMはthree uk。設定が簡単ということでアテネ空港でこれまた1時間ほど格闘しましたが繋がりません。3200円もしたのに、使えないなんて泣いちゃう!と悲観しながら、ホテルに着く頃になぜが使えるようになっていました。もう???です。これで30日間9G使えるので、空港でグローバルWi-Fi借りるよりお得です。

電器製品とは相性が良くない私なので、一発ですんなり出来ました!とはいかないものの、なんとか使えてます。

 

 

 

8月26日から9月19日にかけて再びギリシャで調査

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今年3月にヴラフ調査でギリシャに行ったばかりなのですが、個人の研究の科研費をいただくことになったのでまたまたギリシャ調査に行きます。

調査旅行期間は2018年8月26日から9月19日まで。

個人の研究もまだまだ霧に包まれたよう形のあるような無いような状態です。

でも、この研究ができたら本当に嬉しいなというような内容(採用してくれた方々に深く感謝します)。

 

 

*ここから自分の研究を思い出すために書いているので、独り言です。お読みにならないことをオススメします。

 

 

院生の頃からずっと気になっていた細かい一つ一つの事件を総合してネットワーク論でまとめたものです。

舞台は18世紀後半から19世紀前半にかけてのエーゲ海のキクラデス諸島であります。

前々からお世話になっていたアンドロス島、一度訪問したことのあるティノス島、そして初訪問のナクソス島の人々がお話の主人公です。(サブキャラでシロス島も出るかも)

この島々はオスマン帝国時代は一つの州にまとめられていました。

その前はヴェネツィア占領下だったり、ユダヤ教徒の支配者がオスマン朝の代理で支配したり、境界なく様々な文化が混じり合うエーゲ海の交差点でもあります。

色々な国家に支配される時期も、島ごとにすこーしずつズレているので(そして支配者の各島への重要度も違うので)、島ごとに住民構成も違ったりするのです。

例えばアンドロス島の北にはアルバニア系の人が住んでいて、これはオスマン朝ヴェネチア支配時代からの移住政策で入植させられたようです(いつからいたかは不明)。ナクソス島はヴェネツィアとの繋がりが長くカトリック住民が多い。ティノスは今のところ謎(これといってすごい特色を感じない^^;)ティノスは1204年から1715年までヴェネチア支配下にあり、聖マルコ寺院の支配を受けていたようです。そのためか、カトリック居住区があり 1781年の段階でティノスには7000のカトリックが32の村に暮らしていたそうです。カトリック教会が孤児院やシスタースクールを建てたりして、かなり島に影響を与えていたようです。ティノスの産業は手工芸品、中継貿易、大理石細工で栄えていました。ちなみにアンドロスにもカトリックの教会があったようですが、いまはもうありません。

ティノスに関する情報リンク

http://tinos.biz/index.html

http://www.tinos.biz/culture/

 

共通するといえば、18世紀後半のキュチュクカイナルジ条約のあたりからキクラデスの人々がロシアの保護を受けて海運にいそしむようになったので、ここから経済的な飛躍をしたということ、そしてギリシャ独立戦争の戦場となり1830年の独立でギリシャ領に加わったということであります(といっても、別に一丸となってオスマン朝に刃向かったのではなく、戦争に消極的な島もあったり、敵はだいたいキリスト教の海賊だったりと、ただただ混乱のど真ん中にいたという共通体験なのですが)。つまり18世紀の後半からこれらの島々は、経済がガラッと変わるような歴史的事件を共有し始めたのです。

とはいってもオスマン時代もキクラデス諸島は同じ州、中継貿易も細々と行っていたわけなので、今回明らかにしたいのは「オスマン時代のキクラデス諸島にはどのようなネットワークが形成されていて、ギリシャ独立からどう編成されたか」。海運、聖職者の異動、政治上の駆け引き、行政(シロス島に中央裁判所あり)、いろいろな関係が想定できますのでザザッとわかる範囲で調べます。

また、主役の三つの島が独立戦争を経て新ギリシャに参入するとき、似ているような似ていないような事件がそれぞれで起こるのです。題して「新ギリシャにおける宗教的中心地の争奪戦」です。

ティノス島では独立戦争時に奇跡を起こすマリアのイコンが発掘されました。それもなんと受胎告知です。新国家を生み出す戦争時にこんなものが発掘されたら、指揮が高まったでしょう。ここからティノス島は新ギリシャの宗教的巡礼地になって行くのです。1940年、8月15日は聖母祭。この日にイタリア軍が港に攻めてきたようですが、マリアの恩恵で戦いに勝利したと信じられています。

ティノスのマリア像とそれをめぐる巡礼についてはJill Dubischが文化人類学の視点で研究。http://jan.ucc.nau.edu/~dubisch/index.htm

マリア像がティノス住民に発掘された時期に、同島のカトリック教徒を正教島民が略奪する事件も起こっています。Mark Mazower ed. Networks of Power in Modern Greece: Essays in Honor of John Campbell, Columbia University Press (August 12, 2008)

これにたいして可哀想なのはナクソス島です。ここでも独立戦争後に奇跡のイコンを発掘したのですが、発掘者は詐欺罪でシロス島の裁判にかけられ、なかったことにされてしまうのです。ナクソスのマリア発掘事件はCharles Stewartの研究が深い。マリア像は住民の夢のお告げから発掘されたけど、もともとargokoiliotissという村には予知夢の風習があったようです。

http://www.ucl.ac.uk/anthropology/people/academic-teaching-staff/charles-stewart

また、前の2島は住民の活動でしたが、アンドロス島では独立戦争後に島出身の啓蒙思想家カイリスが新宗教を開きます。カイリスの宗教は迷信や奇跡を排除し、神を感じることができるように信者を規律化・修行させるタイプなので、前の二つとは本当に対極。体を鍛えたり、古代ギリシャ演劇させたり、古代ギリシャ語らしき言語を覚えさせたり、なかなか体育会系です。アンドロス島の住民がこの宗教にかなり加わってます。この宗教は国家裁判で異端判決を受け、すぐに閉鎖されました。開祖のカイリスは独立戦争の英雄だったので、国家をあげてのスキャンダルになったのです。

これら三つの事件は独立戦争開始から20年間の間に起こっています。調べればもっと似たような事例が出るかもしれません。

つまり、新しい国家が建設され、これまでの自分たちの生活文化がどうなるのかわからない危機的状態の時に、人々は自らを守るために宗教的な何かを作り出そう、そしてあわよくば国家の宗教的な中心地になろうと動くのかもしれません(もしかしたらどれも国家の中心になる要素があったのかもしれないけど、新国家の政策の中でティノスが選ばれただけかも)。成功例はティノス島でした。

これらの事件を精査することで、①境界なく広がっていたキクラデス諸島のネットワークが国民国家に参入することでいかに再編されていったか、②再編される中で、住民は宗教的を巡る事件の中から自らの地域文化をいかに新国家の中心に据えようと活動したか、を明らかにして行きます。

やはり歴史学の醍醐味は史料になかなか出てこない一般住民の活動や考え方を、色々な視点から調査して浮き彫りにしていくことであります。ずっと気になっていたティノス島のマリア発掘事件やカイリス事件を上手くまとめることで新しい住民の有り様が見られれば良いなと思います。