ギリシャ6日目、イオアニナのドライクリーニングを探し回る

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ギリシャ6日目、イオアニナのホテルで目が覚めます。

アンドロス とは違い、曇り空でジメジメ。

洋服を洗濯したいので、ホテルにランドリーサービスを頼んだら、そういうサービスはないと言われました。おかしい、ホテルのホームページにはランドリーサービスありと書いてあるのに。

仕方ないので、どこで洗濯できるか聞いても知らないと。

そんなことをしているうちに、あらかじめ連絡を取っていたルーマニア人のKさんがやって来ました。洗濯出来なくて困っているというと、そこから洗濯やを探す旅が始まりました。

Kさんはイオアニナにお嫁に来て20年経っています。

外国人だなんてわからないくらいギリシャ語上手。

しかしそんなKさんでも洗濯屋がどこにあるのか手こずります。なぜかというと、ギリシャのお店はすぐに移転したり閉まったりして、「ここにあったはずなのにもう無い!」なんて事がよくあるからです。

午前いっぱい街を歩き、コインランドリー発見。

何とか洗濯を済ませたもののなかなか疲れました。

午後は民俗資料館に行ってからゆっくりします。

 

 

ギリシャ5日目、イオアニナへGO

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手芸教室の次の日、3時半出発の船でラフィーナ港に5時半に戻り、そこからタクシーで30分ほどのヴェにゼロス空港に到着。そこから7時にイオアニナへ軽やかに飛び立つ計画でした。

が、しかし。

 

チケットを取ってから気がつきました。ここはギリシャであり、船が定刻通りに出発するわけがないのです。。。

その証拠に来るときに船で何があったか30分遅れて出航。

アンドロス 島滞在中「飛行機の時間に間に合うのか。ギリシャ久しぶりすぎて交通機関の時間の守らなさをこんなに侮るなんて。私のバカバカバカ」と自分を責め続けていました。

そこに悲劇が。

私の船の出航する日、午前中は海が大荒れになるとのこと。

実際当日の朝は波がすごい勢いで荒れていて、島の人がこんなに荒れるのも珍しいので写真を撮りに来ていたほどでした。これで船が遅れたら高い社会勉強代になるなと覚悟していたのですが、午後には波が静かになりなんとか定刻どうりにラフィーナへ。到着はやはり20分ほど遅れたので、そこからはタクシーの運ちゃんに頑張ってもらい、若干ぼられたかもしれないけど30分前に飛行場到着。

無事にイオアニナへ旅立つことが出来たのです。

99ユーロのチケット代を失わなくて済んだけど、次からは気をつけてギリギリのスケジュールは絶対避けます。

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ギリシャ4日目。アンドロス島でパッチワーク

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ギリシャ4日目はアンドロス島の友人がパッチワーク教室を開きました。

教室は午後4時半からなので、そのまえに私は以前からお世話になっているカイリス図書館に行きました。何度も来ている図書館ですが、ここに来るのも7年ぶり。お土産をわたして自己紹介をすると、「あなたが島に来るとうわさで聞いていた。あなたを待っていた」と言ってくれました(涙)

この図書館はギリシャ独立戦争で活躍した聖職者カイリスの資料を保存しています。カイリスは憲法起草者の一人でもありましたが、その後孤児院を開き、そこでセオセビアという新宗教を享受したとされ、宗教裁判にかけられて投獄されます。カイリスの新宗教への解釈についてはいろいろな解釈が出ていますが、島の友人は「カイリスのような自由主義者を抹殺したがゆえに現代ギリシャは遅れた歴史をたどることになった」と認識しています。カイリス図書館ではカイリスのシンポジウムを何度か行っているので、次に開催するときは私を呼ぶと言ってくれました。

図書館から新しい出版物をプレゼントしてもらい、この島の歴史をきちんとやりたいと改めて思いました。

その後お散歩して、お昼ご飯を食べてからパッチワーク教室開始。

島の女性が20人ほど集まって、お菓子を食べながらパッチワークの作り方を学びます。

私も教えてもらったのですが、とにかく覚えが悪い。なかなか進まないうちに、島の民俗学者が私にインタヴューしにきたり(日本人がなんでこの島に興味をもつのか知りたいらしい)、日本茶を皆さんにふるまったいしていたら、未完成のうちに教室が終わってしまいました。

しかし、こんなにたくさんのギリシャ人を交流したのも初めてで、こういう手芸教室も島の社交場の一つなのだと思いました。次の日からは町を歩けばみんな友達。研究に関係はないけど、島の生活の一部を垣間見た気がします。

ちょと飛ばしてギリシャ15日目(パナギア同胞会のトップにインタヴュー)

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かなり飛ばして15日目。

アンドロス島で知り合った女性の紹介でパナギアというヴラフの村出身者が結成しているパナギア同胞会のトップにインタヴューしました。

 

とても良い人で、ビデオ撮影を快く受け入れてくれました。

しかし、話すスピード早い(^^;)

あとで細かい会話をチェックせねば。。

全体的な内容としては、パナギアという村はテッサリア地方の山の上にあって、牧畜や農業で生計を立てていたとか。しかし、小さな村なので食べていけないひとはアテネやトリカラに移り住むようになったそうだ。テッサロニキには行かなかったのかと聞くと、理由は特にないけど、誰かがアテネで定住したらそのあとに誰かが移り住んでいって、村の人がお隣同士で済むようになったんだそうです。

なので、小学校のとき、おじいさんやおばあさんはヴラフ語で話しかけてきて、それに自分たちはギリシャ語で答えていたと言ってました。

パナギアは商業はしなかったのかを聞いたら、イピロス地方のメツォヴォのように良い道が昔なかったから、商業で成功するということはなかったそうです。イピロスのヴラフは成功していて、それに比べてパナギアは教育もそこまで行き届かなかった。なのでアテネに住んで、その子供たちが大学に行くようになったけど、多くの人がラヒア売り(くじを売る人)だったり労働者としてアテネで働いたそうな。

ヴラフとしてのアイデンティティーは持っているのか聞いたら、もちろんあると。しかし、それは自分の出身としてアイデンティティーを持っていて、自分たちの文化を守りたいだけ。政治的な問題には関わりたくないし、政治的な問題はもともとなかった。誰かが利益を得たくて政治的な問題として取り上げているだけ。ヴラフとギリシャ人と何が違うかと言うと言葉が違うだけで、自分たちはギリシャ人だ。クレタ島の人がギリシャ人であるのと同じ。だからマイノリティーと呼ばないでほしいと言ってました。

バルカンの他の国にはヴラフがたくさんいるけど、外国のヴラフに対しては外国人と感じるか、それとも仲間と感じるかも聞きました。すると、もちろんその地域の環境がありそれによって違いは出てくる。でも同じ出生を持ち同じ言葉を話す人たちだから仲間だと感じるそうです。

だいたいこんな感じでしたが、あとで撮影したものをチェックします。

 

写真はインタビューを行ったダンスホールここで民俗ダンスを教えて、シンタグマ広場などで村の文化を披露するそうです。

 

アンドロス島

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ラフィーナ港からアンドロス島へは船で2時間くらい。夜に到着しましたが、やはり空気がカラッとしていて気持ちがいい。船着場からさらに1時間バスに乗って、アンドロスの中心地ホラ(町という意味)へ向かいます。途中バス酔いしながら、なんとか友人宅に到着。

友人はパッチワークの先生で、明日パッチ―ワーク教室を開きます。先生役の女性が友人の他に3人いて、みんなで一緒に友人宅に宿泊。

夜12時までご飯を食べながらみんなでいろいろおしゃべりしてました。

話しの中で、今回のギリシャ訪問の目的を聞かれたので「ヴラフというマイノリティーの研究にきた」といったら、先生役の女性二人が「自分たちもヴラフの血を引いてる」と答えてくれました。

後に分かったのですが、都市に住むギリシャ人で、おじいちゃんやおばあちゃんがヴラフだという人が非常に多い。祖父母の言語はよくわからなかったけど、あいさつ程度なら覚えているようです。

 

一人の女性は、おじいちゃんがパナギアというヴラフの村の出身で、パナギアの人はアテネのエクサルヒアに固まって移住しているんだとか。一度に移住したわけではなく、誰かがそこに住み着いて、さらに村の人を呼んでというようにコミュニティーが出来て行ったんだそうです。だからその女性が小学校のころは、同級生はヴラフ語で挨拶していて、ヴラフの踊りも学校で習ったんだそうです。そんなこんなで、今でもつながりが強くてフェイスブックでパナギア出身者のコミュニティーを作っているとのこと。

さっそく仲間に入れてもらいました。

 

その女性の紹介で今日はこれからパナギア出身のヴラフ協会のリーダーにインタビューに行ってきます。さて、何を聞こうか。。。

 

 

 

そして夜にアンドロス島へGO

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予定外にアクロポリス博物館に行ってしまいましたが、非常に勉強になりました。

さて、本当の目的にうつらなくては。インフォメーションをみつけ、ラフィーナ港へ行くバスの発着所(地下鉄ヴィクトリアの近く)や時間を確認しました。

ラフィーナへは頻繁にバスが出ているので、そんなに焦らなくていいけど、やはりそこはギリシャ。ちょっと余裕をもって港に行くことにしました。

巨大なスーツケースを引きずりながらタクシーを捕まえて、バスの発着所へ向かいます。運転手に「こんなに大きな荷物、どうしたんだ!旦那をころして死体を中に入れてるんだろ!」とブラックなギリシャジョークをかまされました。

タクシーの運転手にいろいろ話を聞くと、やはり華やかになったのは中心地だけでアテネの労働者街は治安が悪い状態が続いているようです。後に友人から聞きましたが、労働者街付近ではほとんどのATMが壊されて落書きだらけだそうです。とはいえども、運ちゃんの話だと「ギリシャのギリシャ人は貧乏だけど、外国にいるギリシャ人は金持ち!メルボルンはアテネ、テッサロニキに次ぐ第3のギリシャ人都市で、そういう人はお金持ち!」とのこと。

外国への移民がギリシャを支えているようです。

 

 

 

 

 

 

 

3日目、予定外。アクロポリ博物館へ。

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ブログ更新が止まってしまって久しいのですが、記憶を辿りながら書いていきます(飲酒中)。3日目は友人のいるアンドロス 島に夕方出発。

ラフィーナというアテネ近郊の港から船が出ます。ラフィーナはアテネ中心からバスで40分かかる割と郊外にある港町。バスの出発時間を確かめるためにアテネ中心のツーリストインフォメーションへ。

あれ?以前あった場所にインフォがない。近くのお店に聞くともっとむこうといわれる。もっと向こうに行ってもそれらしいものはなく、また近くの人に聞くともっと向こうだと。

そんなことをしていたら、いつの間にかパルテノン神殿入口にたどり着いてしまいました。

パルテノンはわざわざ上る気になれないのですが、新しくできたアクロポリス博物館はまだ行ったことがありません。これも神の導きであると解釈し、アクロポリス博物館へGO。

この博物館は2009年にオープンしました。本当はアテネオリンピック(2004年)にオープンする予定がいろいろもめて、5年遅れて完成したんだとか。オープン直後に経済危機になったわけなので、これも歴史の皮肉です。

観光客はたくさんいます。どこから見ようかうろうろしていると、英語のガイドさんが観光客を引き連れて説明しながら歩いています。このガイドさんの英語、すごく聞きやすい。話も面白い。ツアー客ではないけど、このガイドさんの後ろをついていくことに決めました。

アクリポリス博物館はやはり単なる博物館ではありません。ギリシャの外国に対するメッセージが非常に強い。エレクティオンの女神像は本来6体あるのですが、展示は5体。一体分のスペースを空けて展示しています。これは外国に持ち去られた女神像をここに返してほしいというメッセージが込められているのだとか。

また、女神像のお掃除映像も公開されています。女神像は環境汚染でずいぶん黒く汚れてしまっていましたが、今はレーザーの技術で当時の白さを取り戻せています。この映像は「これだけギリシャも技術があるのだから、ちゃんと遺物を管理できる、だから返して」という外国に対するメッセージなのだそうです。

パルテノンの遺物は19世紀にイギリスの外交官エルギン氏にかなりの部分を持っていかれました。これはエルギン・マーブルとして大英博物館で展示されています。かつて、大女優にして文部大臣だったメリナ・メルクーリもイギリスに対しコレクションの返還を求めてきましたが、現在も実現していません。

と、こんなメッセージが各所にちりばめられた展示になっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郵便局へ

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sophisticateされたアテネの中心部を目の当たりにして、嬉しいような寂しいような気分になっていましたが、やっとギリシャらしい場所を発見。

やはり公務員セクターは変わらないようです。

郵便局ではかつて何度も大変な思いをしてきましたが、やはりここは変わらなかった!

大量に本を購入したので日本に送ろうと思い、ダンボールを探していたのですがこれがなかなか苦労します。
まず郵便局で専用の箱が売っているのでそれを買いたいというと郵便局員いわく「品切れでありません」。仕方ないので、どこでダンボールを手に入れればいいのか聞くと、スーパーなどでもらってこいと言われました。
しかし、ギリシャのダンボールは薄い紙のようでなかなか本を入れるに耐え得る品物は見つかりません。

ここからギリシャ2日目にしてダンボールを探す長い冒険が始まりました。

箱専門の箱屋さんへ行くと、一箱12ユーロとかなりふっかけてきます。
かと言って他のお店にいっても冷たくあしらわれる始末。

ということで、本を送るので本屋へ。本を大量買した店に戻って事情を話すとボロボロになったダンボールをくれました。
これをテープでぐるぐるに補強して最強の箱を作り、10キロを超える本を収納して郵便局へ。

私のホテルは中央郵便局のすぐ裏にあるのですが、そこはギリシャ。
小包専用の郵便局はかなりわかりにくいところにあったりします。
そこはすでに学習していたので、えっちらおっちら重い荷物をミトロポレオス通りにある郵便局へ運び、郵送完了。送料だけで100ユーロちょいしましたが、これを日本から買うともっとすごい料金になります。
マイナー言語の本は購入も一苦労です。

7年ぶりのアテネは

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7年ぶりのアテネはこれまでとちょっと違います。

中心部の目抜き通りがまるで「ヨーロッパ」のようです。

昔ながらのカフェニオンを見かけません。店は新しくなり、ヨーロピアンスタイルのバーやカフェテリアになっていました。ネスカフェも健在ですが、カプチーノやエスプレッソなどカフェメニューが豊富になっています。

人々が落ち着いている?
前は割り込みは当たり前という人が多かったけど、今はみなさんしっかり並んでいます。道を尋ねると、めちゃくちゃな道を教えるのではなく、スマホで位置を確認してどこが目的地か教えてくれます。

他にもゲバラTシャツを見なくなったり、警察がいたるところで巡回してたり、外資のお店があふれていたり、バスや地下鉄にSUICAみたいなカードを取り入れられたり、小綺麗なヨーロッパの街になったという印象です。

 

経済危機以来、就職難やストライキが社会問題になっていると報道されていましたが、あくまでも消費の面では物が溢れ出しているという印象を受けました。

 

しかし、タクシーの運ちゃんや友人の話を聞くと、物はあふれているけどギリシャ人自体はお金がないのが実情のようです。
アテネの中心地は小綺麗になりましたが、それ以外の労働者街は以前と変わらぬ雰囲気です。

つまり、貧富の差が広がってお金持ちの楽しむ場所とそうでない場所がハッキリと区分けされ始めたのかもしれません。

 

そして本屋へ行く

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ギリシャ1日目と2日目、ジェッドラグで少し疲れてます。

今回の調査の目的はヴラフ関係の史料を集めることです。

1日目の夜にメツォヴォというヴラフの村で伝統舞踊の先生をしている人からメールをもらった。メツォヴォに資料館があって、そこの研究所に文書があるとのこと。

色々紹介してくれそうなので、ひとまずホッとしました。

とは言っても、やはり自分でも動くべきかと思い、アテネで買えそうなヴラフの研究書を探しに本屋へ。ヴラフ関連は民俗学コーナーにまとまってました。

うーん、、。いっぱいある(;´д`)

一番新しい本のイントロダクションにもギリシャのヴラフ研究は多岐にわたり膨大であるとありましたが、このような言語的マイノリティを題材にした研究は、言語学、政治学、民俗学、歴史学の観点から相当な量の本が出版されています。

全部の内容を立ち読みで把握するのは難しいのですが、パラパラめくるとヴラフの歌とかあるヴラフ家族の歴史を追った研究書も結構あります。リークやプクヴィルなど18世紀のバルカン旅行者の書物でヴラフが登場する箇所をひたすら抜き出してギリシャ語訳したものもあります。かなり古い再販本はブラフがいかにギリシャに同化しやすいかなどを書いたプロパガンダ本も混じっています。

 

ひとまず大人買い。

 

 

 

郵便作業が骨が折れそう。頑張ります。

 

今回お世話になったのはポリティアとヤノス。

どちらもかなり大きな本屋で、特に再販本はヤノスが強いように感じます。

https://www.politeianet.gr

https://www.ianos.gr/proionta.html?gclid=EAIaIQobChMIh_CKmaPu2QIVVOcbCh29ggDhEAAYASAAEgI_y_D_BwE

 

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