約2時間かけて、キフィシアの子孫の家に着く。
ベルを鳴らしたら、子孫の旦那さんが出迎えてくれた。
ものすごく品の良いおじさん。
葉巻をくわえている。
どうやら旦那さんはお医者さんらしい。
子孫のEさんは、今、弁護士をしている。
家はものすごい豪邸。
こういう豪邸はあまりなじみがないので、緊張する。
おかげで、トイレに行きたくても行けなかった。
旦那さんは、かなりの紳士で、いろいろカイリスやその子孫について説明してくれた。
カイリスもその兄弟姉妹も独身が多く、6人いた中で唯一子どもを残した人がいた。
その子どもはカイロに行き、大きな工場を建てた。
しかし、工場が破産して、アテネに戻ってきた。
その末裔がEさんであるとのこと。
つまり、カイリスの家系はEさんのみで、すべてのカイリス家にまつわる史料はこの家に集まっているそうな。
確かにすごい。
オスマン帝国時代の15世紀から、カイリス家にまつわる史料がある。
オスマン語で読めない。
子孫がカイロで工場を建てたときの史料も当然ある。
それだけじゃなくて、19世紀初期の百科事典とか、フランス語-ギリシャ語の辞書とか、文書館さながらに何でもある。
いろいろ見せてもらったけど、目がまわる。
ちょっと多すぎる。
カイリスの残したメモとか、カイリスの生徒のノートとか、カイリスが生徒のために書いた推薦状とか、、、。
うわ!
1840年代に出たカレンダーがある。
1830年代に出た、オットー王を祝う歌もある。
なんかいろいろありすぎて、もうよくわかんない。
なんか本で「たいへん貴重なな史料となっている」って書いてあったものが、
目の前にある。
こんな簡単に手に取れて、申し訳なくなる。
そして、すごかったのが、エヴァンシアの史料。
エヴァンシアはカイリスの妹で、ギリシャ初の女性啓蒙知識人といわれている。
エヴァンシアの公刊史料はいくつか持ってるけど、
エヴァンシアの未公刊の手書きの本が山のように保存されていた。
すごい。
おそらく19世紀初期のものが多い。
まだ、ギリシャ人研究者も全部目を通してないんだって!
とりあえずその山の中から一つ、「女性の道徳」についの本を撮影させてもらった。
でも手書きだし、薄くて読みづらい。
ゆっくり読んでいかないと。
「女性の道徳」を撮影していたら、旦那さんが古い新聞を持ってきてくれた。
19世紀末に公刊された、女性むけにつくられた新聞があって、そこでエヴァンシアが特集されている。
「この新聞はかなり面白い史料だと思うよ。」と言われた。
もちろん撮影。
他にも19世紀はじめに公刊された、子どもの教育法についての本とか、
1840年代にイギリスのギリシャコミュニティーで公刊された、独立戦争についての講演記録とか撮影させてもらった。
もっといろいろ撮っておく史料があるに決まってるけど、もう混乱しているのでこの辺で、、、。
と思ったら、旦那さんが1839年に公刊されたカイリスの講演記録を持ってきて、
「これ、日本にもって行きなさい」と、くれた。
えええ!くれるの?だって1839年出版のパンフレットでしょ???
この史料は図書館で触らせてもくれなかった。何とかコピーはもらえたけど。
「こんな大事なものはもらえない。博物館に寄贈してください。」
といったけど、
「いいよ。まだ何冊か同じものがあるから。日本で保存して欲しいんだよ。」
と言われた。
こんな言葉も怪しい外国から来た学生に、何でこんなに熱心に教えてくれるんだ???
あ、でも途中で息子さんが孫を連れて、家に遊びにきたけど
「どうだ!こんなすごい史料があるんだよー!こんなのもあるよー!」
って自慢してた。
本人もちょっと楽しかったのかな。
それならわたしもうれしいけど。